マレーシアのコンサート後、カザフスタンに帰ったのは、アスタナ25年祭に出演のためだったのですね。
ディマシュがカザフスタンへ帰ってくると、ディマシュに関係のある人たちが、こうやって楽屋に集まってくるのね(笑)
いったい付き人が何人いるの(笑)
このジャケットは2019年秋によく来ていましたね♪
なつかしい~~~
舞台裏。
美女に囲まれて。
・・・・・・・・・・・・
さてディマシュ、この仕事が終わったらロスに戻る(行く)のでしょうか?
おじい様の葬式で、急遽カザフスタンにもどったディマシュ。
当然、また行くよね。
ディマシュのロスでの生活、いつまで続けるんでしょう?
今はたぶん、ワーキングビザで行っているんですよね?
永住権があるわけではなく、数年でカザフスタンへもどるんですよね?
ディマシュの目標が達成されるまで???
それとも、期限が限られている???
ディマシュはカザフスタンの国宝です。
よくも悪くも、カザフスタンの重要な資源のひとつです。
欧米や日本のように、単に自分の目標だけで自由に行動できるわけではないでしょう(推測)
過去には、ロンドンのコンサートも、ニューヨークのコンサートも、スポンサーはカザフスタンの教育文化省(正式な名前は忘れました)でした。
日本でABUソングフェスティバルに参加するために来日した時には、お迎えも護衛も在日本カザフスタン大使館が担当していました。
今でもコンサートの時には、その国のカザフスタン大使館がディマシュの滞在中は関与するのだと思います。
つまり、ディマシュは自分の意思だけで完全に自由に行動することなどできない。究極、カザフスタンの国家のために働かなければならない。
でも、それがいやかというと、ディマシュはそうは思っていないでしょう。カザフスタンのために自分が貢献できるのであれば、それは幸せなことと思っている。
そのへんの感覚が、欧米や日本人には理解ができないところです。
国のことなんか気にせず、自分の成功だけにもっと集中すべきと考えてしまいます。でもディマシュにとって、カザフスタンは自分の命の一部なんでしょう。
日本のアーティストも、何人もアメリカでの成功を夢見て挑戦しました。でも、私たちが期待するような結果が得られず撤退しました。
ディマシュは、そんな日本のアーティストに比べたら格段に実力が上です。
でも、アメリカでの成功という点にフォーカスしたら、ディマシュと言えど簡単ではない。
なぜなら、ハリウッド(アメリカ)は、自分たちこそが世界の中心であり、ほかの民族は自分たちに従うべきと思っているから。
アジアの知らない国から来た片言の英語しか話せない若者なんて、簡単に認めてはくれないのです(想像)
ディマシュには、そんな常識を破ってほしい。
どうか、ディマシュが望む成功をアメリカで手に入れられますように♪
トップページ