忘れもしない2019年1月17日、いつものようにyoutubeを聞きながらパソコン仕事をしていました。
たしか アメリカン・ゴット・タレント を中心にしたオーディション番組が、自動で更新される設定にしていました。
聞いたことがない美しい声♬
突如、1オクターブ上がった!
あれ、二人で歌っているの?
画面を見ると、一人しかいない Σ(・□・;)
ええええええええええええ?
何、この人?????
美しいルックス、長身、まじめなサラーリーマンみたいな恰好。
若い時の要潤に似てる。
どこの国の人なの?
いったい、この人は何者なの?
この衝撃は、5年たっても忘れられません。
彼は Dimash Qudaibergen というシンガーで、歌手2017という中国の番組でブレークし、2018年にはロシアでも大人気なカザフスタン出身の24歳。「Dimash Qudaibergen 」 を一晩中検索しまくってわかりました。
明け方まで、聞ける曲を次々に聞きました。
この曲は「Love Of Tired Swans」
そしてもう1曲の衝撃的な曲が「SOS」
私のハートは射ぬかれました。
恋に落ちました。5年がたった今でも!
ディマシュの歌が、耳から入ってくるというより、私の頭蓋骨を通り抜けて松果体を揺らした💖
酸いも甘いも知っている熟女の私が、まるで乙女に戻ったような強烈な感覚でした。ディマシュのことを思っている時の私は少女で、旦那のことも、息子たちのことも、孫たちたちのことも、ボケた母のことも頭にはなかった(笑)
5年も一人のアーティストを追いかけたなんて、長い人生の中で初めてです。
音楽的なことも、歌のテクニックのことも、まったく知らない私だけど、この人の歌がすごいということだけはわかりました。
リアクションで説明している人の言葉を聞いても、未だによくわからない。でも、そんなテクニック的なことはわからなくていいから、ディマシュの歌を聞いていられればいいの💖
ディマシュは世界一の歌手だわ。なにか特別な力を神が与えた! 人々の心を癒すために、音楽の神様が地上に遣わした天使!
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2019年の年頭には、まだまだ中国時代のバラエティ番組に出演した彼の動画などがたくさん出回っていました。それは私には違和感だらけだった。彼は使い捨てのアイドルとして扱われるような薄っぺらな歌手じゃないわ (≧▽≦) 中国時代の歌も、彼にとっては鼻歌のような軽い曲であまり好きではない。
でも若いディマシュにとっては、それなりに楽しかったのかも。アイドル扱いされたことで、中国dearsだけは若い女の子が多いし。どんな男でも、おばさんに囲まれるより、若い女子にキャーキャー言われた方が気持ちいい((´∀`*))ヶラヶラ
その後はイーグルクルトイ氏に認められて、素敵な歌をたくさん作ってもらった。イーグル氏とディマシュのコンビは最強だと思う。今はまだ戦時中で、イーグル氏と仕事もできないし、ロシアでのコンサートもできない。早くまた再開してほしい。
その後はディマシュの作曲の名曲が生まれた。ディマシュは確実に進化している。
ディマシュを知った当初は、どこか大手の会社と契約したら、大々的に売り出してもらえるのにと思った。すぐに世界で知らない人がいないほどの大スターになれるのに、もったいないと思った。
でも、ディマシュの言動、活動を見ているうち、ディマシュはどこにも属さず、自分のやりたい音楽をマイペースで追及した方がしあわせなんだと気がついた。
音楽には異常なほどストイックで繊細。だけど、他の事は意外と気にせず、呑気な所がある((´∀`*))ヶラヶラ ディマシュの soon は、我々の soon と時間の単位が違うらしい(笑) ディマシュは大金を得て有名になりたい訳ではないのだ!
どこにも続さないディマシュが、世界に羽ばたくためにとった戦略は、カザフスタンの国と組むこと。組むと言うの言葉は違うな。彼はもともとカザフスタン人で、カザフスタンと言う国やこの国の文化を世界中に広めたいと思っていたのだから。世界に出たいディマシュと、カザフスタンという国の地位を向上させたい当局との利害が一致した。
いろいろな国で開催される行事のオープニングとか、余興とか、実にうまくディマシュが配置され、観客を魅了してくれる。品行方正で頭もいいディマシュは、文化大臣のような役割をこの若さでこなしてくれる。当局にとってありがたい存在なのだ。
ロンドンのコンサートやニューヨークのコンサートも、スポンサーはカザフスタンの教育省のようなところ。もし、ディマシュが、完璧にカザフスタンという枠を外して活動したいのであるなら、逆に足枷だろう。彼はそんなことは思っていないのかな?
5年間Dearをしてきて、残念だったこともある。
最初は、2020年、中国の新華社からの依頼で「We are one」を歌った時。
あぁ、プロパガンダに使われたな(涙)
カザフスタンと中国の文化交流大使みたいな肩書で仕事をしているディマシュは、ことわれなかったのだろう。
そして2020年暮れ、アメリカで不正選挙の末に大統領に当選したバイデンに、
「バイデン大統領、ハリス副大統領、おめでとうございます。」と述べた時。
さすがにこの時には、ショックでこのブログも2~3か月書けなかった。
今でこそ、アメリカの国民の多くが、2020年の大統領選挙には不正があったと認めているが、その当時は、私が主張していることは、日本のDearsにはまったく理解してもらえなかった。
アメリカ大統領選挙、コロナのパンデミックで、私はこの世の仕組みがわかってしまった。日本はアメリカの属国のままで、30年も経済成長もできず、ついにGDPも中国にもドイツにもぬかれ4位に転落した。政治的なことを発言するたびに、仲の良かったdearは離れて行った。
日本のファンクラブから敵視され、ツイッターにイイネ!を押したらダメというおふれが出たり、「このブログを読むな!」とまでいう人間がいたり(笑) ブログは続けているけど、ほぼ孤独な応援活動です。
でも、私も大人になった。
ルネッサンスの昔から、アーティストは時の権力者の庇護のもとでしか活躍できないのだ。ディマシュがどう考えているかは知らないけど、大手事務所に属さないディマシュが世界各国で活躍するためには、その国の政府とケンカしてはいけないのだ。
私は、ディマシュの歌を聞いて、心の平和が得られればいいのだ 💖
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ディマシュを知って私の世界は一変しました。
若い時も、アイドルの追っかけもしたことはないし、スターのファンクラブなど入ったこともない。でもディマシュは違いました。
ディマシュのことが知りたい💖
この1年前の2018年、私は乳がんになりオペをしました。ディマシュを知った時も、抗がん剤とホルモン剤で治療中でした。抗がん剤とホルモン剤は私にあわず、体調は最悪でした。このまま弱って死ぬんではないかと思いました。いまでも時々体調が悪くなります。抗がん剤とホルモン剤で、わたしの免疫や体の調整機能は破壊されたのだと思います。
死ぬ前に、ディマシュの歌を生で聞かなければ!
と思いました。
この年の2019年6月末、カザフスタンの首都アスタナで、ディマシュのコンサートガ開かれることになり、私は迷わず行くことにしました。その時の様子は、このブログでまとめてあります。時間があったら読んでください。
コロナ禍でも、ドバイのコンサートにも行きました。
どちらもたった一人で行きました。さんきゅ~ と はろ~ しか言えないのに(笑)
今は母のボケが進み、長時間、家を空けられなくなってしまいました。ディマシュのコンサートには、いつ行けるかわからない状況です。悲しい😢
ディマシュには、時々、息抜きさせてあげたい。この若さでカザフスタンを代表する要人になり、常に国民やdearsに監視される日々。他の若い男の子のように、お酒を飲んでハメを外したり、ナンパしたりさせてあげたい! でも、もはや大スターになったディマシュには無理なのか・・・・・
ディマシュを知って、私は日本を全く大事にしてこなかった自分に気がついた!
ディマシュがカザフスタンを愛するように、私は日本を愛します。
残りの人生は、平和な日本を孫やひ孫やその先の子どもたちに残すようにがんばります♬
もちろんディマシュの応援も💖
★ 自給自足を目指して養鶏始めました。 今、雪にも耐えられる鶏小屋を自力で建てました。鳥骨鶏やひよこの様子をyoutubeにアップしていますので、見てね。