ディマシュ 社会勉強中

ディマシュは、アルマティの Dimash AkhmetovichKonaev(クナエフ)博物館を見学に行ったようです。

 

ウィキペディアより

アルマティ事件

カザフ共和国では1986年12月16日、それまで四半世紀以上に渡ってカザフスタン共産党中央委員会第一書記を務めてきたカザフ人のクナーエフが解任され、代わりにロシア人のゲンナジー・コルビンが同職に選出された。しかしこの人選に反発するカザフ人の間で抗議が17日にデモの形で発生し拡大、軍や警察との間で衝突になったが19日には鎮圧された。同事件による死者は、当時のカザフ共和国当局は2人としていたが、現在では100-200人とされ、KGBによる秘密集計では168人という数字も報告されている。

なお、この事件後もコルビンはカザフスタンの最高指導者であり続けたが、民族共和国のトップがロシア人である事の不都合は認識されるようになった。1989年にコルビンは辞任し、後任となったカザフ人のヌルスルタン・ナザルバエフは中央アジア地域のリーダーとしてソ連政治の中で強い影響力を持つ事となり、連邦崩壊による1991年12月のカザフスタン独立後は同国の大統領に就任し、2019年に辞任するまで長期独裁体制を築く事になった。

 

ディンムハメッド・アーメドヴィチ・クナーエフ

1911年1月12日 – 1993年8月22日

カザフ・ソビエト社会主義共和国の政治家、ソ連共産党員。ヴェールヌイ市(現アルマトイ市)出身。

1936年、モスクワ非鉄金属・金大学を卒業し、鉱山技師の資格を得た。1939年、ソ連共産党に入党。

大学卒業後、「プリバルハシュストロイ」に派遣。第二次世界大戦中、「アルタイポリメタル」コンビナートの副主任技師、技術課長、並びにレニノゴルスク鉱山管理所リッデル鉱山所長。

その後、カザフ・ソビエト社会主義共和国人民委員会議議長(1942年 – 1952年)、カザフ・ソビエト社会主義共和国科学アカデミー総裁(1952年 – 1955年)、カザフ・ソビエト社会主義共和国閣僚会議議長(1955年 – 1960年、1962年 – 1964年)、カザフスタン共産党中央委員会第一書記(1960年 – 1962年、1964年 – 1986年)として働いた。レオニード・ブレジネフ書記長とはブレジネフがカザフ共産党第一書記時代、アカデミー総裁、首相として農業改革を手伝った間柄であり、ブレジネフの中央復帰、書記長就任とともにクナーエフも厚く遇された。

クナーエフは、20年以上ソ連共産党中央委員会政治局員であり、25年以上カザフ・ソビエト社会主義共和国最高会議代議員だった。

1986年12月11日、クナーエフの不在時に政治局会議が突然開かれ、彼は年金生活に送られた。12月16日、カザフスタン共産党中央委員会幹部会会議が行われ、ロシア人のゲンナジー・コルビンが第一書記に選出された。このことは、カザフ人の暴動の原因ともなった。

また、スターリンからゴルバチョフの時代を生き抜き、スターリン時代からの最後の生き残りとなった。1991年8月19日のソ連8月クーデターから2年後の1993年8月22日死去した。82歳。

 

 

クナエフ氏は、カザフ人に尊敬されている政治家なのですね!

そこでディマシュが見つけたものは、これでした。

 

Look what I found in the museum of Dimash Akhmetovich Konaev. I was amazed when I saw his collection of music albums. It turns out that he loved to listen to completely different music from Kazakh folk music to Michael Jackson, including solo albums of the world’s best instrumentalists, jazz performers, an album of the Bolshoi Theater soloists and even an album of the Roman Catholic Choir. I’m shocked))) Photos from his home library where he read 250 pages every day and eventually read more than 5000 thousand books.

 

グーグル翻訳

Dimash AkhmetovichKonaev の博物館で見つけたものを見てください。 彼の音楽アルバムのコレクションを見て驚いた。 彼は、カザフの民謡からマイケルジャクソンまで、世界最高の楽器奏者のソロアルバム、ジャズパフォーマー、ボリショイ劇場のソリストのアルバム、さらにはローマカトリック合唱団のアルバムなど、まったく異なる音楽を聴くのが好きだったことがわかりました。 私はショックを受けました)))彼が毎日250ページを読み、最終的に50万冊以上の本を読んだ彼の自宅の図書館からの写真。

 

 

このインスタをアップしたMuseumkunaev氏は、博物館の関係の肩でしょうか?

グーグル翻訳

Museumkunaev
名前はとても重要です。それは強さを与え、保護し、直接することができます。誰かにちなんで名前を付けるとき、親は名前の持ち主が持っている資質を子供に伝えるように導かれます。このように、世界的に有名なカザフスタニのパフォーマーであるディマシュ・クダイベルゲンは、カザフSSRディンムカメド・アクメドビッチ・クナエフの共産党中央委員会の初代書記に敬意を表して彼の名前を受け取りました。先週、ディマシュ・クダイベルゲンは、D.A。クナエフの記念アパート博物館を訪れました。その後、ソーシャルメディアに投稿を公開した後、彼はDinmukhamedAkhmedovichが素晴らしかったことに驚いていました。

erik_tastembekov
ディマッシュとの予期せぬ出会い。 私たちは座って一杯のコーヒーについて話しました! Dimashik、あなたに幸せ、あなたの成功を誇りに思います!!! そして最も重要なことは、あなたの勝利にもかかわらず、あなたの世界的な人気のために、あなたは私があなたを覚えているのと同じシンプルで控えめな男のままでした! 続けてください!🙏🏼👍🏼✊🏼✊🏼✊🏼😊☕️☕️@ kudaibergenov.dimash

こちらは、テレビ局のディレクターの方だと思います。

ディマシュが世界的に成功しても、謙虚なままの青年だという事を喜んでいます💓

sholpantabaeva
アルマティの美術館は最近、検疫後に訪問者への扉を再開し、ディマッシュはA.カステエフにちなんで名付けられた州立美術館とD.クナイエフの美術館を訪れ、Aにちなんで名付けられた民俗楽器のオーケストラも訪れました。 Kurmangazy。ディマッシュが他の国や都市の歴史的、文化的名所に精通し、アーティストの落ち着きのない生活に連れて行かれることを本当に望んでいます。 @ kudaibergenov.dimashであなたをとても誇りに思います! ❤️
Cr @dimash_multicultural_club

これは、dearsのsholpantabaevaさんのインスタより。

また、ディマシュが世界中の都市を忙しく回る生活が来ますように! というのっているという事ですね 💓

何とか冬の間にも、コロナの再熱が起こりませんように!

ディマシュも私たちも、自由に世界中の行きたいところへ行ける生活になりますように!

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2 Comments

Mari Nishimura

ありがとうございます。勉強になりました。
旧ソ連のこと、ましてやカザフスタンのこと、ほとんど何も知りません。少しずつ勉強です。
第一の関門は名前です。 読めず、覚えられず、情けないことにすぐに忘れてしまいます。 スラスラとブログに書いておられるのにいつも感服しています。

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